
立木貴也
張る、張らない②
更新日:2020年10月13日
古代からその音色は「天から差し込む光」を表すとされている。
笙奏者は常に考え、注意深く音を紡いでいく必要があるが、
とにかくダーダーと必要以上に大きく張り上げ、
雑な演奏をしている、雑な演奏になっている人が多い。
天から差し込む光とほど遠い下品な音色・演奏である。
大きな音で吹くこと自体は、
時と場合によっては重要になってくるが、
より張り方に注意する必要がある。
また極端に強くしたり弱くしたりすることは、
笙の演奏においてはナンセンスであり避けるべきことである。
ただし舞楽の演奏においては、
その様に演奏した方が落差によってリズム感が出て、
曲が活き活きしてくる等、
効果的な場合もあるということを付け加えておく。
最初に述べた”雑な演奏”とは何か。
それは篳篥の旋律フレーズを無視し、不必要な箇所で強く張ったりすることである。
では”良い演奏”とは何だろうか?
あくまでも持論に過ぎないが、
普段は縁の下の力持ちで裏方に徹し、
要所要所で存在感を出し、曲の流れを作る演奏である。
その”要所”とは何処か。
それが主旋律である篳篥の旋律フレーズの区切れ目である。
このフレーズの区切れ目、インジャの間を美しく描くことができ、
如何に主旋律の篳篥や龍笛に上手くバトンを渡すことができるか。
これがポイントになってくる。
次回はお馴染みの平調・越殿楽を用いて具体的に解説していく。
-続-
張る、張らない② 2020.8.21